秘書の嫁入り 犬(4)

「…組長ッ…良かったですね…時枝さんっ、アッシは…」
「オイ、オッサンッ!」

佐々木が立ち上がり、勇一と時枝の二人に飛びかかった。

「汚ねえだろっ、こら、離れろッ、佐々木ッ」
「佐々木さん、落ち着いて下さい。あぁあ、信じられない…」

佐々木の涙と鼻水がベットリ勇一と時枝の服を汚した。

「場所を弁(わきま)えろ。ほら、俺達は元通りだから。ま、お前にも心配掛けて悪かった。ガキ、ぼけっと見てないでコレを何とかしろっ!」

勇一が睨み付けてくる青年に声を掛けた。
時枝はどうして、あの青年が怖い顔で自分達を睨んでいるのか不思議だった。

「オッサン、いい加減にしろっ。組長さんと、隣のオヤジも困ってるだろっ」

オヤジ?
まさか自分のこととは思わず勇一の横に誰か立っているのかと時枝は抱きつく佐々木の頭を避けて、勇一の向こう側を覗いた。
誰もいない。

「君、オヤジって私のことですか?」

丁寧に質問した。
初対面の相手には慇懃な態度で接するのが時枝だ。
それが年下でもだ。

「そうだよ、眼鏡のオヤジ」

言い切られた。
眼鏡まで付けて、オヤジ呼ばわりされた。

「勇一、…俺、オヤジって…、今…あのくそガキに…」

小声で勇一に自分のショックを伝えようとした。

「分かっている。後で絞めとくから。佐々木、お前、泣いている場合じゃないだろ。あのくそガキ、ちゃんと躾とけ」
「うぜぇ、大人達だ。ほら、オッサン、離れろっ」

青年が佐々木を勇一と時枝から引き剥がした。

「本宅へ戻る。佐々木、ダイダイ、行くぞ。ほら、荷物持て」

勇一が、自分の鞄と時枝のボストンバック、土産の辛子明太子を佐々木とダイダイという青年に渡した。

「あと少しで勝貴の中だ」

勇一が時枝の耳元で囁く。

「バカ。無理だ」

自分の尻の状態からして無理だとは分かっているが、何とか受け入れてやろうと、歩きながらそっと尻に手を当てた時枝だった。

 

「いい湯だ」

時枝と勇一は、本宅の露天風呂に浸かっていた。
佐々木達は引き上げたので、誰に気兼ねすることもなく、二人でゆっくりと湯の中だ。

「傷に染みないか?」
「大丈夫だ」
「勝貴、見合いのことは俺が悪かった。誤解をさせてしまった」
「その件はもういい」
「良くはないんだ。俺とお前と桐生の将来に関わる話が実はあって…聞いてくれるか?」

神妙な面持ちで、勇一が時枝に語りかける。

「見合いの相手なんだが、安田のおじきの娘なんだ」

安田とは桐生とは遠縁にあたる組で、勇一の祖母の実家だ。

「じゃあ、見合い相手と言うのは、理彩子か? 一人娘じゃなかったか?」
「そうだ。理彩子だ。おじきは理彩子をうちに嫁がせて、ガキを二人以上産ませ、そのうち一人を安田の養子に迎えたかったようだ。そうすりゃ、安田も桐生の力を借りられると思っているようだが」
「そりゃ、そうだろうな。でもたしか理彩子には…」
「その通りだ。アレは安田の若頭と恋仲だ」
「だったら、その二人が結婚するば、いいんじゃないのか?」

普通に考えれば、それで組は安泰だろう。
桐生とは元々姻戚関係だし、恋人と別れてまで好きでもない勇一と結婚することもなかろう。

「それがな、向こうも俺達と同じ悩みを抱えているんだと」
「は? あそこの若頭、実は女だったとか言うんじゃないだろうな?」
「子種がないらしい。だから、オジキに結婚を言い出せないんだと」
「なるほどな。それで、渋々親の言うなりになって見合いか。勇一、どうするんだ?」
「俺は子どもが欲しい」

今更、何を言うんだ?
だったら、迎えに来なければ良かったんじゃないのか?
時枝の顔が暗くなる。

「オイオイ、勘違いするなよ。先々、俺と勝貴と俺達の子どもで生活したい」
「スマンが勇一。俺は、お前より賢いと思うが、お前の話がさっぱり理解できない。分かるように話せ」
「だからな、理彩子とあの若頭を結婚させるだろ。もちろん子種がないことをオジキに報告した上でだ。それで、俺達の精子を提供するんだよ。体外受精ってやつだと、大抵双子以上が生まれる。もちろん、あの若頭の実子として、籍に入れてもらった上で、俺達に養子を一人お願いするんだ。どっちの組にとっても悪い話じゃないだろ?」
「…そんなに都合良くいくか? 子どもだって、男の子二人生まれるとは限らないぞ? 女の子二人かも知れないし、男と女かも知れないし。第一、兄弟を引き離すのか? 自分の出生について、悩む時期もくるかもしれないだろ」

勇一がバシャッと時枝の顔に湯を掛ける。

「俺達は、女の子でもいいじゃないか。婿を取らせてもいいし、嫁に行きたいなら行かせればいい。跡取りは孫に期待してもいいし、無理に世襲することもないだろ? もう、そんな時代じゃない」
「…お前、もしかして、その相談をすでに理彩子と始めていたのか? デートっていう名目で、どう親父さんを丸め込むのか、相談してたんだ」
「ピンポン! 良くできました。あの若頭も出来た男でよ~。自分の子どもとして、育てる覚悟も愛する自信もあるらしい。ありゃ、相当理彩子に惚れてるな」

自分が勇一の見合い話で別れを覚悟した頃、こいつは俺達の子どもについて考えていたのかと、時枝は愕然とした。
だいたい子どもが産めないから、勇一との将来は難しいと思っていたのだ。