秘書の嫁入り 犬(2)

「勇一に苛められたら、逃げ込んできます」
「むしろ、俺が勝貴に苛められて、逃げ込んでいるような気がする」
「ハハハ、普段は時枝さんの方が強そうだな。桐生さんが、尻に敷かれていそうだ」
「分かります? 組員の前だけ、俺を立ててくれるんですがね~、それ以外は下僕のようなものなんですよ」
「何、それが夫婦円満の秘訣さ」

時枝の顔が赤くなる。

「…夫婦って、尾川さん…、俺達、まだ…そんな…」
「ん? まだ早かったか?」
「いえ、早くありません」

勇一が言い切った。
バカと、時枝が勇一の脇腹に肘鉄をくらわす。

「何があってもあんたらなら、大丈夫だよ。時枝さん、一人で溜め込むなよ。良い子になるのは、駄目だぞ?」
「はい」

良い返事だと、尾川が子どもの頭を撫でるように時枝の頭を撫でた。
他の人間から同じ事をされたら、時枝は失礼なと怒りそうだが、尾川にされる分には嫌ではなかった。 
死んだ父親からされているような気がした。

「腹減ってるだろ。飯だ、飯」

食べてからでも間に合うだろうと、今日釣ったばかりの魚を中心に、アワビやサザエが並ぶ豪勢な食事が用意されていた。
空港まで、自分らで運転はしないだろうからと、酒まで用意してあった。
尻の具合が悪い時枝は出血に影響するので控えたが、勇一と尾川は、杯を交わし、親交を深めていた。
結局尾川は、福岡空港まで見送ってくれた。
土産だといって辛子明太子を桐生に十箱、黒瀬達にと三箱持たせてくれた。
世話になったのは時枝の方なのに土産まで持たされて心苦しかったが、折角の好意なので素直に受けとった。
尾川に挨拶をし別れる時には、時枝は感謝の気持ちで胸が熱くなっていた。
トレードマークの眼鏡が曇る。
もし小倉の駅で尾川に偶然出会わなければ、本当に勇一とは終わっていただろう。
潤の恩人というだけでなく、自分の恩人だと、心底この男の存在に感謝した。

「勝貴、福岡にも家族ができたな」
「ああ。嬉しい限りだ」
「ちょっと妬ける」
「妬いてろ」

東京行きの機内で、勇一はずっと時枝の手を握っていた。 
毛布で隠しているわけでもなく、上着を掛けているわけでもなく、堂々とだ。
恥ずかしいという時枝に、知らない人間に見られても問題ないと、勇一は時枝の手を放さなかった。

「勝貴、俺の手はお前を触る為に存在していることが判明した」
「何だソレ?」
「二度と会えないかも知れないと思った時、お前の肌が恋しくて、自慰さえできなかったよ」
「肌だけか?」
「ば~か、もちろん、全部だ」
「安心しろ。俺は手だけじゃなく、身体全体が勇一の為に存在していることが分かった」

勇一が時枝の方を向く。

「…言ってて、恥ずかしくないか?」

神妙な顔付きで言われた。

「恥ずかしいに決まってるだろッ。軽く聞き流せ、馬鹿野郎」

時枝が真っ赤になる。
その赤く染まった頬に、勇一がチュッと唇を付けた。

「お、おまえっ! 公共の場で変なことするなっ!」
「変じゃないだろ。愛情表現だ」
「あ~あ、やっぱり血筋なのか…。桐生のDNAか? それ以上するなよ。いいか?」

東京行きの便は満席だった。
出張帰りのビジネスマン風の男性が八割を占めている。
きっと見た人間もいるだろう。

「本当は嬉しいくせに」
「死ねっ!」

乱暴な言葉とは裏腹に愛情表現と言われて、正直嬉しかった。
握られている手を握りかえした。
勇一が顔を時枝の耳元に近付ける。

「指を絡めるだけで、俺はイキそうだ」

息が掛かる距離で囁かれた。
そして、握ったままの手を勇一が自分の股間に持って行く。

「…お前…」

ズボンの下で、硬くなった物が確認できた。

「駄目だぞ。ココじゃ無理だからな。分かっていると思うが…あっという間に着くから、我慢しろ。空港に着いたら、直ぐにしてやるから」
「空港でしてくれるのか。こりゃ、楽しみだ」
「口で我慢しろ」
「光栄です。つうか、今の勝貴の尻にぶち込めるほど、俺は外道ではありませんっ!」
「小声で言えっ!」

確かに視線を感じた。
ああ、ホモのカップルだってもうバレバレだ。
ここに、秘書の冷静な自分が別に存在し、この男に注意してくれたりフォローにまわってくれたらどんなに便利だろう、と時枝は思った。