秘書の嫁入り 青い鳥(32)

『早かったですね』
『連絡を頂いて助かりました。潤達の時同様、尾川さんには、お世話になりっぱなしで』
『また、一杯、やりましょう』
『ええ。あいつは?』
『二日酔いじゃないですかね~。かなり飲んでたから。朝食用意してますんで、後で食べて下さい。漁に出てきますので、気兼ねなく、仲直りして下さい。午後まで戻りませんから』
『ありがとうございます。本当に、面倒お掛けしてしまって』

頭が痛い。
誰かが、階下で話しているらしい。
それすら、響く。
酒だ。
二日酔いだ。
時枝は布団を頭から被り、音も光も遮り、痛む頭を庇うように、身体を丸めていた。
寝ていれば、そのうち治まるだろう。
頭痛が酷くて、時枝はここがどこだとか、どうして二日酔いなのかとか、階下で話しているのは、誰だとか、一切考えられなかった。
ドンドンドンと振動と音が床から響く。
誰だよ…静かに歩けっ!
更に深く、布団に潜り込む。
音と振動が、近づいて来る。
くそ、殺してやりたいっ!
布団の中でダンゴ虫のように身体を丸めているが、音と振動からは逃げられない。
ドンドンドンと近づいてきた足音が止み、ガタっと引き戸が開く音がした。
そして、またドンドンドンと数歩確実に誰かが時枝に近づいて来た。
コノヤロ、嫌がらせかっ!
用があるなら、静かに歩けっ!
と、罵倒した。悲しいことに、頭痛が酷すぎて、時枝の口からは、罵倒した言葉ではなく、う~っ、という呻き声のみが洩れていた。
時枝は布団を内側からしっかり握りしめていたのだが、近づいてきた誰かによって、その布団を一気に剥がされてしまった。

「なにっ!」
「起きろ―――ッ!」

声も、時として凶器になるらしい。
時枝は耳元で大声を出され、脳味噌が砕けるのを感じた。

「ひぃ!」

咄嗟に耳を庇ったが、遅かった。

「なんて、ざまだ。勝貴、起きろっ!」

丸めた身体を誰かが、イヤ、聞き覚えのある声の主が、無理矢理起こそうとする。

「顔も酷いし、酒くせ~」

イタタタ、と時枝は額に手を当て、強引に起こされた上半身を立て直すと、ゆっくり顔を上げた。

「…ゆう…い…ち…」
「ゆういち、じゃねえだろ。来いっ!」

勇一を目の前にしても、いまいち状況が飲み込めていない情けない状態の時枝の腕を勇一が掴み、無理に立たせると、そのまま引きずって洗面所へ連行した。
合宿所にあるようなタイル張りの昭和を思い出させる洗面所。
勇一が時枝の頭を押さえつけると、蛇口を捻り、流水を時枝の頭にぶっかけた。

「ひっ」

冷たい水が、二日酔いの時枝の頭を直撃だ。
髪から伝って顔も首も着ていたパジャマの襟も、冷たく濡れた。

「やめろっ!」

時枝が押さえ込まれている頭を振って抵抗した。

「お目覚めか? あ?」

水が止められ、時枝の頭から勇一の手が退く。
水を滴らせ時枝が顔を上げると、目を釣り上げた勇一の顔があった。

「勇一……、俺…」

やっと時枝は、勇一がどうして目の前にいるのか、飲み込めた。
自分を迎えに来たのだ。
第一声は、謝罪の言葉だと決めていたのに、勇一の怒った顔に威圧され、言葉が続かない。
言葉が続かないだけでなく、勇一の顔が見れなくて、時枝は目を反らしてしまった。
そんな時枝に勇一は頭からタオルを掛け、ゴシゴシと髪と顔を乱暴に拭いた。

「人をおちょくるのも、いい加減にしろよ」

来い、とまた腕を掴まれ、経路を戻りさっきまで時枝が頭を抱えて丸まっていた部屋へ時枝を入れると、乱れた布団の上に時枝を突き飛ばした。

「…待ってくれ、勇一、話を」

てっきり怒り心頭の勇一に、殴られるのかと時枝は思った。
自分だって腕に自信はあるが、本気を出した勇一には敵わない。
殴られても仕方ないことをしたのかもしれない。 
勝手に誤解して、勝手に別れ話をし、しかもその理由が「ヤクザが嫌い」だからだ。
殴られても構わなかった。
しかし、その前に自分の口から謝罪をしたかったのだ。
だが勇一が取った行動は時枝を殴るではなく、時枝の上に馬乗りになり時枝を全裸に剥くというものだった。

「なっ…、落ち着けっ! 勇一ッ!」
「俺は落ち着いている。慌てているのはお前だろ」

上から時枝を見下ろしながら、勇一が自分のシャツを脱ぐ。

「悪いが、愛撫をしてやる暇はない。勝貴の顔を見たときから、コチコチだ」

勇一が腰を浮かせ、ベルトを抜き、ファスナーを素早く降ろすと、中から猛ったモノを取りだした。