秘書の嫁入り 青い鳥(28)

「佐々木、学習能力のない大人は嫌いなんだが?」
『は、申し訳ございませんっ!』

携帯の向こうで、頭を下げている佐々木の姿が目に浮かぶ。
呼び名の一つぐらい、どうして覚えられないんだと、黒瀬の中で佐々木は仕事の出来ない部類に分けられていた。

「何のよう? 俺もそんなに暇じゃない」

そう黒瀬は忙しかった。
潤を悦ばせる為にまだまだこの昼休み、アレコレしたいのだ。

『組長が、荒れていまして…。放っておくと、大学生のガキに手を出しそうな勢いでして…。止めようにも、俺は自由の身だとか何とか、仰有って……、時枝さんとは、もう、本当に駄目なんでしょうか』
「時枝? 時枝がどうした? 兄さんと別れたとか?」
『え、…もしかして…ご存じなかった…とか…』
「何だかよく分からないけど、時枝なら休暇中だ。そんなことだろうとは、思っていたけど。ふ~ん、やっぱり、そうなったか。別にいいんじゃない。時枝と兄さんの自由にしたら」
『そんなっ、ボン、あの二人は相思相愛じゃないですかっ。お願いですから、一度組長と会って下さい。このままじゃ、時枝さんが不憫です。今の組長じゃ桐生も滅茶苦茶になります。ボン、しか組長に意見出来る人間がいないんですっ!お願いしますっ!』

黒瀬は二人の問題に口を挟む気はなかった。
一度は勇一に警告をしているのだ。それで、十分だろう。
二人ともいい大人で、自分達が出した結果なら、他人が何を言っても同じだろう。
その結果が間違っていても、後々後悔しても、それは二人の責任だ。
他人の事は、実際黒瀬はどうでもいいのだ。
しかし「どうでも良くはない」と思っている人間が、黒瀬の膝の上にいた。

「…黒瀬、時枝さんと組長さん…、わかれたのか…? この前の、見合いが、原因?」

佐々木の声が大きくて、携帯から佐々木の話が潤にも聞こえていた。

「そうみたい。時枝の休暇はセンチメンタルジャーニーじゃない?」
「…そんな~、あの二人は…お互い愛し合ってるじゃないかっ」
「そうだね。だから、時枝は身を引いたんじゃない?」
「…そんなの駄目だ。それは絶対駄目なんだよ…それって、俺を手放そうとした、黒瀬と同じじゃん……黒瀬の元を離れようとした俺と同じ……駄目だよ…身を引くのが愛じゃないよ…黒瀬……、組長さんに会ってよ」
「ふふふ、そうだね…どうしようかな」

ハッキリ返事をしない黒瀬の手から、潤が携帯を奪いとる。

「佐々木さんっ!」
『はいっ、えっと、市ノ瀬さまですか?』
「そうです。黒瀬のことは俺に任せて下さい。責任を持って、組長さんの所に行かせますから。明日にでも連れて行きます。佐々木さんは組長さんを逃がさないようにして下さい」
『は、承知しました。よろしくお願い致します』

人の恋路に首を突っ込むのは決して黒瀬の趣味ではないのだが、こうなったら自分が出向くしかないかと、膝の上の新妻を軽く睨んだ。

「駄目ダメ、黒瀬、睨んでも怖くないよ。……でも、勝手なことして、ごめん」

潤が携帯を黒瀬に返し、黒瀬の額に自分の額を付けて、媚びた表情で謝る。

「潤が、どうしても、って言うなら、私が動くしかないけど、それでも、二人の絆が強くないなら、元には戻らないよ? それは分かっているよね?」

潤がウンと、頷いた。

「私が動くのは、今は潤の中がいいんだけど。それは認めてもらえるかな?」
「…バカッ。…俺が動く」

潤の嬌声が響く社長室。
鬼の居ぬ間に楽しむだけ楽しもうと、引き出しには怪しいグッズが増えていた。

 

 

「ここは何も変わっていませんね」

時枝は、尾川の家の前にいた。
漁師をしている尾川の家は、もちろん海の近くだ。
時枝が初めて尾川の家を訪れてから、一年半ぐらい経つ。

「中心地から離れているから、のんびりしたものだ。一年そこらで何も変わらん。相変わらず殺風景だが、入ってくれ」

中に入る。
何もかもが、以前来たときと同じだった。
初めて来たときは、勇一も同行していたことを思い出し、鼻の奥がツンとした。