秘書の嫁入り 青い鳥(25)

自分のマンションへ戻った時枝は、ビールを三缶飲み干した。
続いてウィスキーをボトルの半分まで空け、それから、ベッドの上で携帯電話を握りしめ、じっと携帯の液晶画面を睨み付けていた。
素面(しらふ)では話せないと、空き腹に酒を流し込んでみたのだが、一向に酔えなかった。
短縮でボタン一つ押すだけでよいのに、それができない。 
外で会う日時を決めるだけの電話なのに、出来ない。
部屋へ呼びつけることは簡単だ。
自分が桐生に出向くことも簡単だ。
しかし外でしか、冷静に話せないような気がする。
自分がここまで弱い人間とは時枝自身思ってもいなかった。
たかが別れ話じゃないか、と自分に言い聞かせても、勇一の声を聞いたら声が震えそうで、まともに話せる自信がなかった。
今日は、日時を決めるだけだというのに、携帯をジッと凝視しているだけで、時間が過ぎていく。
震えた。
指が震えた。
やっとキーを押したというのに、ワンコール鳴るか鳴らないかで、切ってしまった。
それを連続三回。
四回目に突入かというとき、携帯が鳴った。
着信音が時枝に勇一からだと告げた。

『勝貴? 俺にイタ電しているのか?』

ワン切りが三回続けば、勇一が不審に思って掛けてきても不思議はない。

「…」

咄嗟の言葉が出なかった。

『勝貴だよな? 具合でも悪いのか』
「…大丈夫だ。ちょっと、話があって…会いたい……早い方がいい」
『今から行くか?』
「今夜は遅いし、……明日の午後三時ぐらい空いてるか?」
『三時に、着くように行けばいいんだな?』
「此処じゃない…ゲーセンに来てくれ」

どこか、公園でも、と思っていた時枝だったが、勇一の声を聴いていたら、初めて声を掛けられた場所が頭に浮かんだ。

『ゲーセン? どこのだ?』
「桐生が昔所有していたゲーセンあったろ。勇一が、俺に声を掛けてきた。あそこ」

早く切らないと、時枝の腹の底からグッと込み上げてくるものがあった。

『ゲーセンで遊びたいとはね~』
「パ~ッと、童心に返って遊ぶのも悪くないだろ。じゃあ、三時」

プチっと、一方的に携帯を切った。
こんな切り方をしたら、勇一から再度掛かってくるかもしれないと、電源をオフにする。
家電のジャックまで抜いてしまった。
ゲーセンだった。
二人が出会ったのはゲームセンターだった。
まだ中学生だった。
大事な部分に毛が生えそろったばかりのガキだった。
思い出したいわけではないのに、二人の歴史が走馬燈のように、時枝の脳裏に浮かぶ。

「普通の友達に、戻れるかっ!」

突然、時枝が発狂したように大声をあげ枕を壁に叩きつけた。

「あのバカが、大バカが、俺にっ、俺に……変なことさえしなければ、よかったんだっ!」

今度は携帯を投げつけた。

「何がセフレだっ! 何が、特別な友達だっ、何が恋人だーっ! クソッ……クソッ…あいつはいつも浅はかなんだよっ……恋人も友人も一度に…ははは…はははは……俺…一人だ」

笑いながら、時枝の眼鏡は涙で曇っていた。
三時の待ち合わせに、時枝は二十分遅れて行った。
いつでも時間厳守の時枝だったが、今日はワザと遅れて行った。
勇一を待つのが嫌だったのだ。
待つ間に、逃げたくなるかもしれない。
先に勇一が着いていてくれた方が時枝にはよかった。
ゲームセンターの入口に勇一の姿はなく、店内を探すと、勇一がガキどもに交じってスロットに興じていた。
時枝は声を掛けず、勇一の真後ろに立つ。
立った瞬間、セブンが並び、コインがジャラジャラと音をたて出てきた。
気付いてないと思っていたが、勇一は振り返ることなく、

「勝貴、俺凄いだろ? 中坊ん時のお前に負けない腕前だ」

と、語りかけてきた。

「だが、所詮ガキの遊びだ。換金できないからな。ほら、坊主、コレ全部やるぞ」

横に座っていた少年に、溜まったコイン全部を渡すと、勇一は立ち上がった。