秘書の嫁入り 青い鳥(23)

「まともな格好で良かった。兄さんを呼びつけるときは、いつも着流しで来やしないかと冷や冷やしてますよ」

株式会社クロセの社長室。
社長の黒瀬とその兄、桐生組組長の勇一が対峙していた。

「俺だってTPOぐらい考えている。忙しいのに呼びつけやがって。用事はなんだ? そういえば、勝貴も慌てていたが…」
「時枝に会ったのですか?」
「ああ。エレベータですれ違った。様子がおかしかったが、また何かあったのか?」

ふ~ん、と黒瀬が変に納得した表情を見せる。

「急いでいただけでしょう。それより、兄さん、俺に隠しごとしてませんか? 俺にっていうより、時枝にですが」
「そりゃ、組関係のことは、隠していることは山ほどある。それはお前達だって一緒だろうが。何を今更」
「そうきますか。そのうち、時枝の耳にも入ると思いますよ。兄さんの見合い。兄さんが政略結婚を考えていたとは知らなかった」
「政略結婚っ!」

声をあげたのは、勇一ではなく、お茶を運んで来た潤だった。

「潤も驚くだろう? 兄さん、見合いをしたらしい。しかもその彼女と只今親密なお付き合い中らしい。潤、どう思う?」

潤が、高級煎茶が入った湯飲みを中身が飛び出す程乱暴にテーブルに置いた。
そして、自分が買ってきた有名和菓子店の乾菓子を客の勇一からワザを遠く離れた場所に置いた。
空になった盆を胸の前で抱え、目を釣り上げ、客である勇一を睨み付けた。

「見損ないました。組長さんが…そんな人間だったなんて。そんないい加減な気持ちで時枝さんを……そりゃ、時枝室長は、怖いし口うるさいし、俺も黒瀬も叱られてばかりだけど…だけど…俺は………」

時枝に衝撃を与えた勇一の見合い話は、第三者の潤にもショッキングな話だった。
もちろん、それは佐々木にもだ。
だから彼は時枝と勇一が別れたと思い込んだのだ。

「…時枝さんが好きだ……一生懸命俺のことも黒瀬のことも考えてくれている…それこそ…自分の時間削って……俺達の為に。なのに酷いよっ! 政略結婚って、時枝さんが認めたのか? 組長さん、好きだったんじゃないの?」

潤が興奮してきた。
黒瀬は余裕の態度で、潤がどこまで勇一に食って掛かるのかと、見物を決めこんでいた。

「…忙しいのは、時枝さんのせいじゃないっ! 男なのは初めから分かっていたことだろ? 政略結婚ってなんだよっ。組の為に、時枝さんを袖にするつもりかよっ!」

勇一が、は~っと深い溜息と共に、目で黒瀬に『早く止めてくれ』と訴えかける。

「潤が怒るのも当然だ。潤、あとは私が兄さんから詳しく話を訊いておくから。時枝に会っても見合いの件は内緒だよ? 多分まだ知らないだろうからね」
「黒瀬っ、俺っ、」
「分かってる。私に任せて。ちゃんと真意を聞き出すから、仕事しておいで。帰ったら、筆記体の練習もあるだろ? テスト頑張って時枝から認めてもらおう、ね?」

潤が深呼吸した。
秘書としての立場を思い出したらしい。

「はい、社長。桐生様、大変失礼しました」

ギッと、潤が勇一を睨み付けたあと、頭を下げた。
潤が社長室を出て行くと、勇一が「ヤレヤレ」と頭をかく。

「さあ、兄さん、話して頂きましょうか?」
「見合いはした。付き合ってもいる。だが、結婚はない」
「結婚しないのに、見合いする必要も、付き合う必要もないでしょうに」
「…それがな…、あるんだ」
「見合いまでは、世話になった組の顔を立てるため、形だけということだったんだが…ちょっと、耳かせ」

二人きりなので問題ないはずだが、普通に話すのが躊躇われたらしい。
勇一が黒瀬の耳元で、囁き始めた。

「…兄さん、あなた…、それじゃあ…」
「まあ、俺の一存でどうこういう問題じゃないが、組の安泰と将来を考えたら、もちろん、これは勝貴との将来ということも含めてだ。問題は勝貴だ…。武史どう思う?」
「時枝は、堅物ですよ? 理解できるかどうか分かりません。一体いつまで、隠しておくつもりですか? 俺が知っているぐらいです、直に見合いの件は時枝の耳にも入ります。見合いってだけで、潤同様、時枝のショックは大きいはずです。うちだって、これから中国進出で時枝が必要なんです。兄さんの思いつきや気まぐれで、時枝を振り回して欲しくないですね」
「分かっている。俺からちゃんと話す。だがな、今、俺達はあまり会えないんだぞ? 誰のせいかは知らんが。たまに会ったときに、この話は出来なんだろうが…、疲れている勝貴に話してみろ。悪い方にしか考えられないんじゃないのか? あいつは、人のことには敏感だし、こと、お前達二人のことになると、お前達以上に理解しているが、自分のことがあまり分かっていないだろ? あいつもお前の嫁ぐらいには強い。仕事の為なら鬼になることもある。しかし、弱い面もある。佐々木ほどではないが、純粋な面もあるんだよ。だから、傷付けたくはない」

勇一の言葉に、黒瀬が面白くないですね、と不満顔だ。

「そうやって、時枝を守っているつもりでしょうが、結果、その気遣いが時枝を傷付けることになるかもしれませんよ。兄さん、ビジネスでも恋愛でも、タイミングを逃すと、取り返しが付かないことになりますよ。俺は、忠告しましたからね」
「ああ、話は終わりか?」
「ええ。兄さんが時枝に隠している間は、時枝とは会って欲しくないですね。二人の問題ですから、これ以上は口出ししませんが、うちの中国進出までには、決着を付けて下さい」

結局、この弟は、勝貴の心配をしているのか、それとも、仕事の心配をしているのか、と勇一は自分が呼びつけられた真意をはかりかねていた。