秘書の嫁入り 青い鳥(20)

「本当に、中国進出は上手く行くのでしょうか?」

今日の会議は、クロセの中国進出についてだった。
反対意見もあったが、既に貿易部門の取引はある。
今後、支社を置いて、不動産業にも乗りだそうと目論んでいる。

「当面は社長自らの指揮ということで、俺と時枝とでやっていこう。香港の力をその間に利用させてもらって、邪魔や嫌がらせが入らない状態で別の人間を送る。そして、我々はあっちのルートを拡大する。中国は大きな市場だし、金持ちも多いからね。ふふ、さすがにブルー(青龍)も今更我々に手出しは出来ないだろうし…」

香港というのは地名じゃなく、香港のマフィアに嫁いだ黒瀬の母親を指していた。
桐生の先代の後妻だった黒瀬の母親は、香港マフィアから預かった留学生の青年と駆け落ちをした。
その青年が泣く子も黙る、残虐さと規模ではアジア一と言われる香港マフィア緑龍(通称グリーン)の今のTOPだ。
だが現在、実質的な支配者は黒瀬の実母だ。
盗品売買、香港マフィア、極道、と黒瀬の背景はかなり黒い。
その中で潤だけが黒瀬をを明るく照らす光なのだ。
その存在がどれほどの力を持っているかは、時枝が一番よく知っている。
職場では、まだまだ駄目社員だが、十分黒瀬の片腕に成りうる力を持ているし、実際自分以外で黒瀬を支えられるのは、彼しかいないと思っている。
だからこそ、時枝は潤に厳しい。潤に完璧を求めているのだ。

「香港が動くなら、上手く行くでしょう。じゃあ、中国のルートも我々が頂くということで」
「そうなるだろうね。楽しみだ」

今後、ますます仕事がハードになりそうだ。
早く潤に戦力になってもらわないと、仕事が増える一方だ。
仕事人間の自覚はあったが、こう忙しいと何もかも放り出したくなる衝動に駆られる。
胸ポケットの煙草を確認すると、遅めの昼食をとる為に外へ出た。
時枝が社を出て二百メートル位歩いところで、誰かに尾行されている気配を感じた。
気付かないふりをし、建物の角を曲がったところで待ち伏せた。

「何のようだ?」
「ひっ、驚かさないで下さい…」
「佐々木さんじゃないですか? また、似合わない帽子被ってますね。それ、オッサンに見えますから止めた方がいいですよ。…それに、何ですか、その無理に若者ぶった服装は…。中年ヤクザが着るにはちょっと、無理があると思いますが…女性の方の影響ですか?」

佐々木は、長袖Tシャツにジーンズを穿き、色が入った眼鏡を掛けていた。
それに、ハンティングを崩した形の帽子にスニーカー。
普段、黒づくめでオールバック、左目の横に走る傷を隠そうともしない男が、帽子で陰を作りグラサンまでしている。
しかも黒じゃなく、何故かブルー。
どう贔屓目に見ても佐々木の趣味じゃないだろう。

「時枝さん、相変わらず容赦ないな~。変装のつもりです。ほら、アッシがこの辺彷徨(うろつ)くと、目立つかと思いまして…」
「その方が、目立ってますよ。一体何ですか? 私に用事でも?」
「さすが、時枝さん、読みが深い」
「佐々木さん、誰でもそれぐらい分かりますよ。用があるから、つけてきたんでしょ」
「ははは、実は、ずっとビルから出てくるの待っていました。内密に話がしたくて」

で、その格好ですか? と、ツッコミを入れたくなったが、我慢した。
時枝は腹が減っていた。
佐々木と立ち話を続けるより、早く食事をしたかった。

「佐々木さん、ゆっくり食べても大丈夫ですよ。誰も取りませんから」

今、時枝と佐々木は、美味いと評判の手打ちうどんの店内にいた。
ズズズとうどんを啜るのは良いのだが、そのスピードが速すぎて、佐々木が時折酸素不足に陥っていた。
真っ赤になって咽せる姿が滑稽で、時枝は自分が吹き出しそうになるのを堪えていた。

「スミマセン、外食の時はついつい癖で」
「まあ、仕事柄、落ち着いて食べてたらヤバイ時もあるでしょうけど、こんなオフィス街のど真ん中で、タマ取ろうという輩はいないでしょ。しかも、今日の佐々木さんの姿…どう見ても…」

頭のネジの弛んだ人間ぐらいにしか思われないだろう。
さすがにそれ以上は言えなかったが。
一人はビシッとしたスーツ姿、一人は、無理な若作りの中年男、昼過ぎで店内はさほど混んではないが、店員の視線を感じる。
妙な二人連れだと思われているようだ。

「ご馳走さまでしたっ!」

時枝がまだ半分しか食べてないというのに、佐々木の器は空だった。

「早いですね。どうぞ、話をして下さい。私、食べながら、聴いてますから。この後もあまり時間がありませんし」

佐々木が、ぐるっと店内を見渡す。
自分達の近くに人がいないことを確認すると、深呼吸してから、時枝の顔を見据えた。

「いつ別れたのですか? アッシには、どうしても納得がいきませんっ!」

バンとうどん屋の木製テーブルを叩いて佐々木が時枝に迫まる勢いで声を荒げた。
これじゃ食事が続けられないと、時枝が箸を置く。