その男、激情!129

今にも泣き出しそうな大喜の太腿に、時枝の手が伸びる。

「自信を持ちなさい。誰の目からみても、佐々木はあなたを愛しています。第三者がそれこそ呆れるぐらい、溺愛しています。大事かと訊くんじゃなくて、誰に恋しているのか訊いてみなさい。間違いなく、大森以外の名前は出て来ませんよ。それに佐々木さんがどう答えようと、桐生か大森か、本当に選ばなければならない時がきたら、あの男は間違いなく、」

ポンポンと時枝が大喜の太腿を叩く。

「大森を選びます」

夫婦は似てくると言うが…、まさに大喜がそれだった。

「…俺っ、――俺、……バカなことを…、」

顔を崩して号泣する様は、まさしく佐々木そのものだった。

「バカなことは誰でもしますよ。そのバカで愚かな行動は、相手に惚れている証拠ですよ。第三者だから客観的に見れるのです。私だって、勇一のことになると、理性も何もあったものじゃない」

時枝の言葉に、大喜が頷いた。

「そこは否定してくれないと。はは、無理ですよね。あなたを置き去りにして、ホテルを飛び出したのですから…」

言いながら、時枝はゆっくりとソファから降りた。
そして、大喜の足元に横座りで座った。

「時枝さん?」
「正座をしたいところですが、今は出来ませんので、この格好で失礼します」

横座りのまま、上半身を前に傾け、床に頭に付けた。

「本当に申し訳ない。勇一が申し訳ないことをした。謝って済む問題じゃないのは百も承知です。ですがお願いです。この通りですから、今日の事は…ホテルでのことは、この先、何ががあっても、佐々木さんの耳に入れないで下さい」
「時枝さんっ! 頭を上げて下さいっ!」

大喜も慌てて、ソファから降りた。

「佐々木さんが知れば、彼は勇一を憎むようになる。勇一を許すはずがない」
「あれは、橋爪だった…。どのみち、俺はもうオッサンの元には戻らない…、戻れない…」

時枝の突然の土下座に、大喜の涙は引いていたが、戻れないと語る大喜の声は悲嘆と諦めの混じった痛々しいものだった。

「駄目ですっ! 戻って下さい…、もっと後悔します…あなたは佐々木さんを裏切ってもないし、穢れてもいない。あれは自ら誘ったことになりませんっ! あなたは被害者ですっ! あなたの意思ではない。勇一のバカのしでかしたことが原因で、あなた方を不幸にするわけにはいきませんっ!」

時枝が、大喜の膝に縋り付くようにして、訴えた。

「…時枝さん、」
「お願いします。佐々木さんに惚れているなら、愛しているなら、彼の元に戻って下さい。今直ぐは無理でも、必ず戻って下さい。私が…俺が、必ずこの手で勇一をっ!」
「駄目だっ! 時枝さんこそ、駄目だっ。アイツは許せないが…組長とは認めないが、それは今日の事じゃないから。俺が認めないのは、アイツがオヤジを撃ったからだ」
「オヤジ?」

顔を上げた時枝のこめかみが、ピクッと撓った。

「時枝さん…を、です」

こういう時にでも、細かいことに反応するのが時枝だ。
大喜が慌てて言い直す。

「俺のことが元で、取り返しのつかない事になったら…俺…、俺…、」
「――ふふ、…ハハハ…、」

時枝が不気味に笑い出す。

「時枝さん?」

頭が変になったんじゃないのか、と大喜は怖くなった。

「…同じだ……、ははは、同じことを…」
「同じ?」
「大森も俺も、同じ心配しているってことだよ」

誰だよ、こいつ。
時枝の砕けた話し方に慣れてない大喜は、知らない人間のように感じた。

「大森は俺達を、俺は大森達の関係を、自分のせいで壊したくないと思っている…同じだろ」
「――同じだ…」
「…どちらが壊れても、俺達は後悔の嵐ってことか…」

時枝と大喜がお互いの顔を見て、二人一緒に『はあ~』と溜息を漏らす。

「――俺…、今日の事は、忘れられないかもしれない、…隠し事は辛いと思うけど…、」
「戻ってくれるのですね?」

時枝の口調が、元に戻った。

「…オッサンには、心の中で償う…。だから、時枝さん、アイツをどうこうしようなんて、思わないでくれ」

どの面下げて戻ればいいのか…正直、今の大喜は佐々木の顔を見ることすら怖かった。
だが、ここで意地を張れば、時枝が勇一に何をしでかすか分らない。

「分りました…。ですが、『お仕置き』はさせて頂きます。そうじゃないと、私の気が済みません」
「…命、とったりとか、しないよな?」
「はい。ですが、私を蜂の巣にした償いと、今日の落とし前はしっかりつけて頂きます。大森の前で恥ずかしいことをさせましょう。それで、あのアホを許してやって下さい」
「…恥ずかしいコト?」
「ええ、死にたくなるぐらい、恥ずかしいこと、を」

時枝の眼鏡の奥がギラッと光り、口角を引き攣らせ、口元だけでニヤリと笑った。

「…」

この瞬間ほど大喜が時枝を恐ろしく感じたことはなかった。
泣き崩れて勇一との再会を喜んだ時枝と、とてもじゃないが、同一人物とは思えなかった。