「あなた達、この非常事態に、妄想浮かべて何好き勝手言っているんですかっ! ダブル不倫? 道ならぬ恋? 心中? そんなことあるわけ無いでしょっ!」
「そう?」
だって、今小猿の側にいるのは、橋爪じゃない? と黒瀬の短い言葉には含まれていた。
「あるとしても、ただの摘み食いですっ!」
「あれ? 摘み食いだったらいいの?」
「いいはずないでしょっ! 勇一であろうと、橋爪であろうと、許しませんっ!」
どうして、ここで、橋爪が出て来るんだろう? と組員達の頭に疑問符が浮かぶ。
「――あの、時枝さん。橋爪のことは…そのなんというか、皆さん、」
恐る恐るといった様子で、潤が時枝に伺いをたてる。
知らないはずだ。
勇一が戻って来た話と、勇一と橋爪が同一人物だという話は別だ。
「ふふ、兄さんが橋爪だなんて、知らないよね」
「社長!」
「黒瀬っ!」
スルッと飛び出した黒瀬の言葉に、時枝と潤が同時に声を上げた。
慌てた二人をよそ目に、組員達は黒瀬の言葉の意味が瞬時には理解出来なかったようだ。
『――勇一、組長が…、橋爪? 今、元代理はそうおっしゃったよな?』
『そう聞こえた』
『橋爪って…時枝組長を撃った犯人だったよな?』
『昨日俺達、組長の命令で橋爪という男の目撃情報集めるように言われた…その橋爪?』
『ソレって…ソレって…勇一組長が、橋爪という男なら…、大変な事じゃないのか?』
『…時枝組長を、銃撃したのが、』
コソコソ始めた組員達が、一斉に息を呑む。
「ははは、ははは、ははははは」
乾いた笑いをたてながら、お互いを小突き始めた。
「そんなわけ、あるはず無いじゃないか」
「そうだ、そうだ、あるはずない。俺達をからかわないで下さいよ、元組長代理」
脳が麻痺しているのか、普段は緊張してまともに会話もできないはずの黒瀬に対し、かなりフレンドリーな口調だった。
「あるんだけど」
その黒瀬の一言で、事務所内が一気に静まりかえった。
「…探せねばならない。早急に勇一と大森を。だから、みんなには一致団結して私に協力して欲しい。このことが…橋爪と勇一が同一人物と他の組にばれる前に、我々の手で二人を捕まえる」
沈静且つ重々しく、時枝が言った。
冗談は含まれてないのだと、皆、悟るしかなかった。
「組長、一つ伺っても」
組員を代表するように、スキンヘッドが口を開く。
「昨日の勇一組長の様子からして、ご自分が橋爪とは思ってないんじゃ…」
「その通りです。勇一は本気で橋爪を見つけ出し、私の仇をとろうとしていた。でも、勇一なんだ。人格がどうとか、記憶喪失とかそういうことはどうでもいい。橋爪は自分を勇一とは認めない。勇一は自分が橋爪で、私を撃ったとは思っていない」
時枝に突き付けられた現実の残酷さに、組員達は顔を見合わせたが、それについては何も言えなかった。
信頼し、惚れた男から殺されかけた現実を淡々と語る時枝に、やさぐれどもの胸が痛んだ。
「…今、行方不明なのは…どっちなんですか?」
「多分、橋爪でしょ」
「じゃあ、今、勇一組長は、俺達の敵?」
「敵とか味方とか…そういう次元の話をしていても意味が無い。とにかく、二人を早急に捜し出す。優先順位は大森の保護だ。そこを胆に命じておいて下さい」
「ふふ、小猿を遠ざける方が先っていう所に、時枝の嫉妬を感じるけど」
茶化すなと、レンズ越しに時枝が黒瀬を睨む。
「彼は一般人です。巻き込む方がどうかしている」
「佐々木と関係がある以上、一般人というのもどうかと思うけど」
「でも、佐々木さんとの関係は、今微妙だから…一般人扱いでいいんじゃないの」
話が別の方向に反れそうなのを、時枝がゴホンと咳払いで遮った。