その男、激情!116

「あなた達、この非常事態に、妄想浮かべて何好き勝手言っているんですかっ! ダブル不倫? 道ならぬ恋? 心中? そんなことあるわけ無いでしょっ!」
「そう?」

だって、今小猿の側にいるのは、橋爪じゃない? と黒瀬の短い言葉には含まれていた。

「あるとしても、ただの摘み食いですっ!」
「あれ? 摘み食いだったらいいの?」
「いいはずないでしょっ! 勇一であろうと、橋爪であろうと、許しませんっ!」

どうして、ここで、橋爪が出て来るんだろう? と組員達の頭に疑問符が浮かぶ。

「――あの、時枝さん。橋爪のことは…そのなんというか、皆さん、」

恐る恐るといった様子で、潤が時枝に伺いをたてる。
知らないはずだ。
勇一が戻って来た話と、勇一と橋爪が同一人物だという話は別だ。

「ふふ、兄さんが橋爪だなんて、知らないよね」
「社長!」
「黒瀬っ!」

スルッと飛び出した黒瀬の言葉に、時枝と潤が同時に声を上げた。
慌てた二人をよそ目に、組員達は黒瀬の言葉の意味が瞬時には理解出来なかったようだ。

『――勇一、組長が…、橋爪? 今、元代理はそうおっしゃったよな?』
『そう聞こえた』
『橋爪って…時枝組長を撃った犯人だったよな?』
『昨日俺達、組長の命令で橋爪という男の目撃情報集めるように言われた…その橋爪?』
『ソレって…ソレって…勇一組長が、橋爪という男なら…、大変な事じゃないのか?』
『…時枝組長を、銃撃したのが、』

コソコソ始めた組員達が、一斉に息を呑む。

「ははは、ははは、ははははは」

乾いた笑いをたてながら、お互いを小突き始めた。

「そんなわけ、あるはず無いじゃないか」
「そうだ、そうだ、あるはずない。俺達をからかわないで下さいよ、元組長代理」

脳が麻痺しているのか、普段は緊張してまともに会話もできないはずの黒瀬に対し、かなりフレンドリーな口調だった。

「あるんだけど」

その黒瀬の一言で、事務所内が一気に静まりかえった。

「…探せねばならない。早急に勇一と大森を。だから、みんなには一致団結して私に協力して欲しい。このことが…橋爪と勇一が同一人物と他の組にばれる前に、我々の手で二人を捕まえる」

沈静且つ重々しく、時枝が言った。
冗談は含まれてないのだと、皆、悟るしかなかった。

「組長、一つ伺っても」

組員を代表するように、スキンヘッドが口を開く。

「昨日の勇一組長の様子からして、ご自分が橋爪とは思ってないんじゃ…」
「その通りです。勇一は本気で橋爪を見つけ出し、私の仇をとろうとしていた。でも、勇一なんだ。人格がどうとか、記憶喪失とかそういうことはどうでもいい。橋爪は自分を勇一とは認めない。勇一は自分が橋爪で、私を撃ったとは思っていない」

時枝に突き付けられた現実の残酷さに、組員達は顔を見合わせたが、それについては何も言えなかった。
信頼し、惚れた男から殺されかけた現実を淡々と語る時枝に、やさぐれどもの胸が痛んだ。

「…今、行方不明なのは…どっちなんですか?」
「多分、橋爪でしょ」
「じゃあ、今、勇一組長は、俺達の敵?」
「敵とか味方とか…そういう次元の話をしていても意味が無い。とにかく、二人を早急に捜し出す。優先順位は大森の保護だ。そこを胆に命じておいて下さい」
「ふふ、小猿を遠ざける方が先っていう所に、時枝の嫉妬を感じるけど」

茶化すなと、レンズ越しに時枝が黒瀬を睨む。

「彼は一般人です。巻き込む方がどうかしている」
「佐々木と関係がある以上、一般人というのもどうかと思うけど」
「でも、佐々木さんとの関係は、今微妙だから…一般人扱いでいいんじゃないの」

話が別の方向に反れそうなのを、時枝がゴホンと咳払いで遮った。