その男、激情!114

「あの人、金持ちそう…。あんた、どう思う?」

大喜が橋爪に耳打ちをした。

「商社の部長クラスって所か? 腕時計も金になりそうだ。行け」
「――あんた、約束守れよ。ちゃんと助けろよ」

約束?
約束しろ、とは言われたが、交わしてはいない。
バカなガキだ。

「ああ。任せとけ」

橋爪の返事で大喜の足が動く。

「あ、ごめんなさい」

ターゲットに選んだ男は、パッと見、秘書時代の時枝を彷彿させる、細いフレームの眼鏡を掛けた神経質そうな顔をしている。
わざとらしく大喜が前からぶつかった。
男の手から鞄が離れ、地面に書類が散らばった。

「君、故意だろ?」

書類を掻き集めようと伸ばした大喜の手首を男が掴んだ。

「痛いっ!」
「どこの会社の依頼だ?」
「わけわかんねーっ! 離せよ」
「この鞄に、ディスクは入ってないぞ」

企業スパイと間違われたらしい。
手首がギュッと捩られ、大喜はやってられね~と、橋爪に視線を向けたが無視された。
続行しろ、ということだろう。

「勘違いするなよ。わざとなのは認めるけどっ、違う方面だっ!」
「はぁ? なんだ、違う方面とは」
「説明するから、手を離せよ」

手首は解放されることはなかった。
しかし、力は緩んだ。

「俺と遊んでくれないかなと思って…、オジサン、金持ってそうだし…」

言いながら、意味わかるだろとラブホテルの看板に視線を向けた。

「ソッチ駄目な人?」

男の手が大喜の手首から顎に移った。
顎を掴むと、品定めをするように、大喜の顔をマジマジと見た。
嫌な視線だ。
時枝に似ていると思ったが、それは間違いだった。
値踏みをするような視線に、人間らしい温かみはこれっぽっちもなかった。
黒瀬とも違う冷酷さを感じた。
その違いを言葉で説明することは出来ないが、狡賢くのし上がってきたエリートであることは間違いないだろう。

「いいや。小遣いが欲しいのか?」
「ああ」
「年は?」
「二十一」

正直に言う必要はなかったのに、バカ正直に答えてしまった。
若い方が飛び付くんじゃないのか?

「見えないが。まあ、本当だと受け止めよう。成人している方が、都合が良い」
「遊んでくれるの?」
「幾らだ?」
「多ければ、多い方が良いんだけど」
「イイ仕事できるなら、幾らでも出してやろう。好みの顔だ。さっさと拾え」

最後の言葉の意味はすぐにわかった。
書類を拾え、という意味だ。
顎を掴んでいた手が、今度は大喜の後頭部に回り、地面に顔が付くんじゃないだろうかというぐらい押さえ付けられた。
コノヤローッ! という言葉を胸になんとか押し留め、大喜はアスファルトの上に広がった紙を拾った。
【社外秘】【持出禁止】のスタンプが目に入ったが、変に首を突っ込むのは得策ではないと、男に問うこともなくサッサと拾い集めた。

「全部拾った」
「行くぞ」
「ちょ、ちょっとぅ、」

ありがとう、の一言もナシかよ。
男が先にホテルに向かって歩いてく。
金が欲しけりゃついてこい、と言っているような太々しい後ろ姿だった。
橋爪を見ると、行け、と顎で合図された。
ちゃんと助けてくれよ、と橋爪に視線で訴え、男の後を追った。