「佐々木んとこのガキに決ってるだろ。どうせまだ戻ってないんだろ?」
「はい。アッシも会いたいと思っていたところですが…それがそのぅ、ボンが会わせてくれないんです」
佐々木は、大喜の身に起こったことを知らない。
だが、木村と時枝は違う。
「ウマに蹴られるぞ、勇一。二人のことは二人に任せておけ。武史にも口を出さないように言っておく。お前も口を挟むな」
あの身体で佐々木の前に連れて来るわけにも行かないし、昨日の今日で佐々木と会わせるのは大喜には酷だ。
「任せられるか。引っ付くときも散々迷惑かけられたんだ。別れる時も面倒みてやる」
「別れる? はあ? 組長っ! なにおしゃっているんですかっ!」
「ボリューム落とせ、佐々木。ガキはそのつもりだろ。だから戻ってこないんだ。俺が綺麗さっぱりカタつけてやるから、安心しな」
「いい加減にしろ、勇一。本気で怒るぞ」
何が何でも阻止しなければならない。
「佐々木さん、アホの言うことなど、気にしなくていい」
「佐々木、組長命令だ」
時枝と勇一、どちらに従うべきか。
双方とも組長だ。
だが、勇一が橋爪でない今、勇一を組長とするべきだろう。
佐々木自身は大喜に会いたいと思っている。
しかし、呼び寄せる理由が別れ話なら、話は別だ。
「他人の痴話ゲンカに組長命令をか出すやつがあるか、ドアホ。――まったく、呆れたヤツだ。もう勝手にしろ」
これ以上反対すると反って不審がられるかもしれない。
呼び戻すにしても、大喜への連絡は黒瀬経由でしか取れない。
だったら、そこで話は終わるに違いない。
時枝は黒瀬の判断に賭けることにした。
「おい、勝貴、待てよ…風呂は一緒だぞっ! 汗、流してやるから~~~」
自分を置いて進んでいく車椅子を勇一が慌てて追い掛ける。
本宅の庭に、勇一の情け無い声が響いていた。
「――実際、勝貴は奇跡の回復だよな。それって、俺様への愛がもたらしたものだろ」
桐生本宅自慢の露天風呂。
勇一が時枝を膝に乗せ、湯に浸かっている。
「なんだ、それ?」
「早く勇一を安心させたい~~~、ってヤツだろ? 人間気合いで治癒も早まるってことだよ。照れるな、勝貴」
「アホか。俺を撃った殺し屋がヘタクソだったおかげだろ。数撃ちゃあたると思ったんだろうけど、全部、急所は外れてる。脚のリハビリさえ上手く行けば、もう問題ない。まだ、少し、腕は不自由だが、日に日に痛みも取れてきたし」
「なんだよ、それ。こんな目に遭わせたヤツに感謝するようなこと言うな」
感謝はしてない。
だが、勇一が負わせた傷だと思うと、奇妙な幸福感を感じてしまう。
俺は変態なのか、と思う程、傷跡が愛おしく感じることもある。
自分に対してなら、それが『橋爪』が起したことでも良かった。
「いいじゃないか。別に。お前だって良い思いしてるだろ? 俺を膝の上に乗せる理由が出来て嬉しいんじゃないのか? 回復したら、風呂で抱っこなどさせないからな」
「ええぇっ!? これを定番にしようと思っていたのに…絶対定番だ」
「盛りのついた獣の上に乗っている俺の身にもなれ、ドアホ」
時枝の尻を勇一の下半身を押し上げていた。
自分が収まる場所を探すように動く小動物を上手く躱してはいるが、かなり危ない状況だ。
「ばれてた?」
「当たり前だ、ボケ。朝から盛るな、鬱陶しい」
「――鬱陶しいって、酷いな。俺なんかいない方がいいってことかよぅ…ぐ、ってぇえっ、噛むやつがあるか」
時枝の口の中に血の味が広がった。つまり、それほど酷く時枝が勇一の肩に噛付いたのだ。
「…簡単に、――軽々しくっ、・・・――いなくなるとか、言うな――っ、この、薄らハゲ――ッ!」
露天風呂に時枝の叫びが轟く。
「……ハゲって、俺、禿げてないしぃ」
「うるせ――ッ! 今度そんなバカなこと口にしたら、俺が根刮ぎその髪、毟ってやるから、覚えておけっ。――バカ、ヤロゥ…」
「――勝貴? …泣いてるのか?」
「…誰が、――誰が、泣くかっ、」
言葉に反して、時枝の声は湿っていた。
「悪かった。――俺が悪かった。…お前を置いて、消えない。絶対だ」
勇一は泣いている時枝を茶化さなかった。
時枝の頭を自分の胸に密着させるように強く抱き締めた。
「…勇一の心臓の音がする」
時枝が静かに言った。
「ああ。生きてるからな」
「…勝手にこの音止めたら、殺すからな」
「いや、その時は、既に死んでるから…」
「いちいち、口答えするな…」
「はい、ごめんなさい」
「――勇一、」
「なんだ?」
「…のぼせそうだ…」
自分の胸に抱え込んだ時枝から力が一気に抜けるのを勇一は感じた。
「勝貴っ、それを早く言えっ、」
勇一が慌てて時枝を脱衣場に運ぶ。
床に横たえ、身体の水分を拭き、上からバスタオルを掛けた。
それから自分の身体の水分を拭き取り、腰にバスタオルを巻くと、時枝の側に座り込んだ。
「許せ、勝貴。――全く俺は、何やってるんだか……。こんな俺に、まだ泣いてくれんだな…ありがてぇな…」
鼻腔の奥がキュンと痛くなるのを感じた。
「俺には、泣く権利もないよな、そう思うだろ?」
勇一は鼻を啜りながら、目から余分な水分が落ちないよう天井を仰ぎ見た。