「白崎の部屋のだ。いざという時のため新人のは預かる規則だろうが」
寝込みを襲われて死ぬこともある世界だ。
この世界に慣れていない者の鍵を預かるようにしている。
が…そんな制度があったことを忘れるぐらい、そのスペアキーを使うことはなかった。
新人が少ないというのもあるが、大抵の新入りは本宅住まいになるからだ。
それにこの勇一が顔を出す第一事務所で、トラブルに巻き込まれるのは大抵、代表である勇一や若頭の佐々木、そして前の組長だった時枝だ。
勇一と時枝に至っては承知の通り、トラブルといった可愛い次元を越えていた。
「あ~あ、白崎のですね」
佐々木がキャビネットの引き出しを開けた。
「――あのう…、俺の記憶が正しければ…、白崎のスペアキーは預かっていないと思います。組長代理が…連れてきたので…その、鍵を…誰も預かってないと…思います。…スペアキーあるとしたら組長代理の所じゃないでしょうか」
入口で立ち止まっていた木村が恐る恐る切り出した。
「ああ?」
と勇一が、
「はあ?」
と佐々木が、不機嫌な声を木村に返した。
「組長代理って武史のことか?」
続けて勇一から問われ、木村は「はい」と返事をした。
すると勇一が突如笑顔を浮かべた。
「だったら武史の所に寄っていけ」
勇一の不気味な笑顔に、佐々木は「それならそうと早く言え」という木村に対する小言を言い出せなかった。
木村には自分の小言より数倍も破壊力のある内容だろうと、同情さえ覚えた。
「――この時間ってことは…クロセ本社に寄って行けと…直接組長代理に鍵について訊けと…スペアキーがあれば借りていけと…つまりそういうことでしょうか?」
考えただけでも恐ろしい。
自らクロセ本社に乗り込む勇気などない。
本宅やこの事務所で会うのとは訳が違う。
大企業の「普通」の社長に会うのだって緊張を強いられるのに、「普通ではない」社長を訪ねて行くのだ。
しかも向こうは桐生の若造などミジンコぐらいにも思ってないだろう。
いや、それ以下かもしれない。
生命体の認識ぐらいはあるかも知れないが…
「それ以外何がある。いや、あった。白崎を連れて戻って来る、が抜けている。そうだよな、佐々木」
「組長の仰有るとおりです。木村、分かったらさっさと白崎を連れて来い」
誰か助け船を~と木村が事務所内を見渡した。
だが、自分達にとばっちりが来ないようにと誰一人として、木村と目を合わせなかった。