その男、激震!(74)

「…、おはようございます」

用意された朝食をとるために一旦本宅へ戻った勇一を、若い衆が戸惑いの表情で出迎えた。
劣化版勇一を知らなくとも、スーツ姿の勇一には違和感がある。
年がら年中着流しという訳じゃないが、勇一が無事(?)生還を果たし組長に戻ってからは、組員の前でスーツになることは殆どなかった。

「どうした?」
「いえ、スーツがよく似合ってらっしゃるので、見とれてしまいました」
「そうか。そんなに似合っているか」
「はい!」
「色男は何を着ても様になってしまう」

勇一の後ろにいた佐々木は「組長、それは本日二度目のフレーズです」と腹の中でツッコミを入れていた。

「仰有るとおりです! とても素敵です」

佐々木とは違って、その反応は勇一を満足させるものだった。

「そうか、そうだろう。今日はこの格好で仕事に出るか」

勇一の背後に控えていた佐々木は、若い組員を「余計なことを言ってくれたな」と睨み付けた。
その眼光の鋭さの意味に気付かぬ組員は、「若頭は朝っぱらから機嫌が悪い」と受け取った。
その佐々木情報は組員のネットワークで一気に広がった。佐々木の機嫌など天気予報より価値のない話題だ。
だが上下関係が厳しい世界に身を置く一部の人間には、時に重要なこともある。
極端に反応した連中が若干名。昨日、佐々木にボコボコにされた連中だ。
勇一が機嫌良く朝食をとっている頃、桐生組本部の第一事務所では、顔の痣が痛々しい連中が通常より早く集っていた。

「どうするよぉ。俺たちゃ、今日も殴られるのかもしれないぞ」
「いや、二日間もネチネチと引き摺るような若頭じゃね~」
「そりゃ、通常のことならそうだろうけどさ~、大喜さんが絡むとなるとな~」
「確かに。組長相手にも喰って掛かったことがあるらしいぜ。とにかく、だ。若頭がいらっしゃったら謝罪だ」
「それしかないな。は~…あと一発ぐらいは覚悟しておいた方がいいかな」
「…一発で済めばいいな……前歯折れてもいいように、歯医者予約しておくか」
「お前、あったま良いな」

いや、良くない。
いい年した大人の発想ではないが、それで彼らの話は一旦終わった。
丁度その頃、勇一の朝餉の席では、

「っ、く、しょん」

佐々木がくしゃみを飛ばしていた。

「佐々木、人が飯を食ってる横で汚い菌をまき散らすな」

勇一が露骨に嫌な顔をする。

「風邪じゃありません。急に鼻がムズムズして…あ、また・・っ、く、しょんっ」
「てめぇ、一度ならず二度までも。誰かが悪い噂でもしてるんだろ。新しい女か? 女を泣かしたんだろう」

勇一が小指を立てた。

「な、何をバカなことを! アッシには可愛い大喜がいますから。浮気など滅相もございません! アッシが泣かすのは大喜ただ一人です」

佐々木が必死になる様をみて、勇一がアホかと笑う。

「ふん冗談も通じやしね~。面白みのない男だ。お前に浮気するような甲斐性がないことぐらい、俺が一番よく知ってるんだよ」
「…失礼しました」

急に花粉症にでもなったのかと思ったが、佐々木のくしゃみがそれ以上続くことはなかった。
本当に噂されていたとは知らず、佐々木は朝食を終えた勇一と共に、一日ぶりとなる組事務所へと向かった。